
すくなちあき
修行と宿題と正しいと
20代前半、印象的な夢を見た。
私が誰かに問うのだ。
「うちの家系の因縁は
いつ終わるんですか❓」
問われた誰かが答えた。
「ラカンが終わるまで」
*
目覚めてから、
ラカンって何だろ❓と。
ラカンは羅漢のことだと
後から、聴かされた。
修行僧のことだと。
なるほど。
コレ、この人生って
修行だったんだー‼️
たしかに・・。
*
しかし、
それから15年くらいして
家系の因縁の修行は終了。
養父母が亡くなったのだ。
*
修行というか、
宿題なのかな、って思う。
養父母が亡くなって以降の
15年くらいの間は、
今度は様々な人たちと
出会っては別れてきた。
一生の友だ‼️
と確信できた人たちとも
時がくると、
ことごとく
別の道を行くことになった。
何故❓
と毎回身悶えたが、
今思うと、
そんなすべての人間関係も
過去生でやり残してきた
宿題だったんだとわかる。
だからこそ
出会って、 惹かれあって、
宿題が終われば、
離れて次に進む
シナリオなんだろう。
*
宿題だから、
粛々とやり切るしかない。
そしてやり終えたら、
「次の学年」に進級するので、
親友である「クラスメイト」とも
クラス替えになるのだ。
ただそれだけ・・。
*
修行というと、
なんとなく辛く苦しいイメージ。
でもよくよく漢字をみてみると、
「行」を「修める」
という漢字だ。
たぶん、
苦しく感じるのは、
エゴとか煩悩とか自我とか
そんなものであって、
魂(真我)は、
うっひょーーー‼️
またひとつ「修めた」ぜ‼️
とか喜んでるのかもしれない。
*
その点、
長きを共にする
家族との人間関係は、
宿題の中でも
とりわけ大切な
必須科目なのだと思われる。
ココをクリアできたら、
かなり偏差値が上がりそうだ。
だって一番の難問・・(笑)
*
みんなみんな自分独自の
宿題を抱えている。
誰もそれを代わりに
やってくれる人はいない。
誰かの回答は
参考には出来ても、
丸写しは出来ない。
*
何が良いとか悪いとか。
何が正しいとか正しくないとか。
何故人は、
正しいにこだわるのだろう。
それは、きっと
正しくありたい、
そう思うからかもしれない。
正しくありたい、
の正しいは
きっと、人としてのDNA。
日本人だったら、
お天道様に恥じない自分が
正しいって認識かもしれない。
人はみずからが
正しくありたい、
神様に添いたいと、
自然と思ってしまうもの
なのかもしれない。
なので、
正しいを探してしまう。
コレだろうか、
それともコレだろうかと。
*
シンプルに、
「笑えるほう」が
正しいだろう。
それが、
その人にとっての正しい。
笑いは、
神様に捧げる「行」
だからである。
