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修行と宿題と正しいと


20代前半、印象的な夢を見た。

私が誰かに問うのだ。

「うちの家系の因縁は

いつ終わるんですか❓」

問われた誰かが答えた。

「ラカンが終わるまで」

目覚めてから、

ラカンって何だろ❓と。

ラカンは羅漢のことだと

後から、聴かされた。

修行僧のことだと。

なるほど。

コレ、この人生って

修行だったんだー‼️

たしかに・・。

しかし、

それから15年くらいして

家系の因縁の修行は終了。

養父母が亡くなったのだ。

修行というか、

宿題なのかな、って思う。

養父母が亡くなって以降の

15年くらいの間は、

今度は様々な人たちと

出会っては別れてきた。

一生の友だ‼️

と確信できた人たちとも

時がくると、

ことごとく

別の道を行くことになった。

何故❓

と毎回身悶えたが、

今思うと、

そんなすべての人間関係も

過去生でやり残してきた

宿題だったんだとわかる。

だからこそ

出会って、 惹かれあって、

宿題が終われば、

離れて次に進む

シナリオなんだろう。

宿題だから、

粛々とやり切るしかない。

そしてやり終えたら、

「次の学年」に進級するので、

親友である「クラスメイト」とも

クラス替えになるのだ。

ただそれだけ・・。

修行というと、

なんとなく辛く苦しいイメージ。

でもよくよく漢字をみてみると、

「行」を「修める」

という漢字だ。


たぶん、

苦しく感じるのは、

エゴとか煩悩とか自我とか

そんなものであって、

魂(真我)は、

うっひょーーー‼️

またひとつ「修めた」ぜ‼️

とか喜んでるのかもしれない。

その点、

長きを共にする

家族との人間関係は、


宿題の中でも

とりわけ大切な

必須科目なのだと思われる。


ココをクリアできたら、

かなり偏差値が上がりそうだ。


だって一番の難問・・(笑)

みんなみんな自分独自の

宿題を抱えている。

誰もそれを代わりに

やってくれる人はいない。


誰かの回答は

参考には出来ても、

丸写しは出来ない。

何が良いとか悪いとか。

何が正しいとか正しくないとか。


何故人は、

正しいにこだわるのだろう。


それは、きっと

正しくありたい、

そう思うからかもしれない。

正しくありたい、

の正しいは

きっと、人としてのDNA。

日本人だったら、

お天道様に恥じない自分が

正しいって認識かもしれない。


人はみずからが

正しくありたい、

神様に添いたいと、

自然と思ってしまうもの

なのかもしれない。


なので、

正しいを探してしまう。


コレだろうか、

それともコレだろうかと。

シンプルに、

「笑えるほう」が

正しいだろう。

それが、

その人にとっての正しい。

笑いは、

神様に捧げる「行」

だからである。




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